原文取自设定集《TV ANIMATION CLANNAD AFTER STORY COMPLETE BOOK》的主创成员采访录。另外祝大家新年快乐,生活美满幸福。值此佳节,仅以绵薄之力,为大家带来这篇采访录的翻译。
(资料图片仅供参考)
系列构成·剧本 志茂文彦访谈
ファン目線とライター目線の間で
粉丝视角和作者视角的交融
——大好きなKey作品に仕事でかかわるというのは、どんな気持ちですか?
ずいぶん前のことなんですけど、京アニさんから『AIR』(05年放送)の脚本をやってほしいと言われたときは、「『エア』って、あの『AIR』かな?」と思って……。最初はよくわからず、信じられませんでした。まあ、こういう偶然ってあるんだなあと思いましたね。
Keyさんの作品は、だいぶ前からプレイしていて、おもしろいなあと思っていたんですよ。でも、まさか自分でやるとは思っていませんでした。だからプレイしているときは、「アニメにするとしたら、たいへんだろうなあ。長いし、話が複雑だし」なんて、無責任に思ってたんですけど(笑)。そうしたら、自分のところに話がきちゃったので、これはえらいことになったなあと。
それまでは、普通にプレイして楽しんでいただけなんですが、やるとなった途端にチャンネルをライター視点に切り替えなければならなかったんですよ。それはそれでたいへんでしたけど、もうケジメをつけてがんばるようにしました。
——从事制作工作的动画,是非常喜欢的Key的作品,这是一种怎样的心情?
那是很久以前的事了,当时京阿尼对我说想请我为《AIR》的动画写作剧本,我想:“《AIR》,难道是那个《AIR》吗?”。刚开始听到这一消息,我还不明白发生了什么,感到难以置信。啊,我想这一偶然是存在的。
Key的作品,我从很久以前就开始玩了,觉得很有趣。但是,我从没想过自己创作剧本。所以在玩的时候,我没有责任心地认为“如果把它做成动画,应该很辛苦吧,作品又长,故事又复杂”(笑)。结果有人找到我谈话,我心想这可不得了。
在那之前,我只是普通地享受着游戏的乐趣,不过,一旦开始创作剧本,必须把频道调为作者视角。虽然这样做很辛苦,但我已经做好了肩负重任努力工作的准备。
——初めて原作の『CLANNAD』(04年発売)、とくに「アフターストーリー」(高校卒業後のストーリー)をプレイしたときは、どんなことを感じましたか?
なるほど、今回Keyさんはこういうことを考えておられるんだなあと思いつつ、プレイしていました。思いきったことをやるなあと思いましたけど、今までの『Kanon』(99年発売)と『AIR』(00年発売)の流れから考えると、次のこういった展開はおかしくないなあとも思いましたね。
——第一次玩原作游戏《CLANNAD》,特别是《AFTER STORY》(高中毕业后的故事)的时候,有什么感受?
原来如此,我一边思量着“这次Key考虑的是这样的事情”,一边玩着游戏。虽然我觉得做了果断的事,但是考虑到迄今为止《Kanon》和《AIR》的趋势的话,按照以下的方式展开也不奇怪。
——冷静に捉えていましたね。
今回は、最初からライター目線でプレイしていましたからね。アニメ化は、『AIR』『Kanon』(06年放送)『CLANNAD』という順番でしたけど、原作ゲームの発表自体は、『Kanon』『AIR』『CLANNAD』という順番だったじゃないですか。この2番目の『AIR』で、「家族」というテーマがかなりクローズアップされていたので、予兆はありました。Keyさん、というか麻枝(准)さん自身が、これ以前から「家族」ということをかなり意識されていらっしゃったのを感じていましたし……。そこに、『CLANNAD』(Ⅱ家族)というタイトルがきたので、いよいよ「家族」というテーマに真っ正面から取り組まれたんだなあと思いました。そういう意味では、非常に興味深かったですね。この部分はファン的な気持ちなんですが、麻枝さんの中でテーマを順当に深化させていらっしゃるんだなあということを感じましたね。
原作の『AIR』と『Kanon』は、アニメ制作に入る前にプレイしていました。それも、くり返し何度も。けど『CLANNAD』の場合は、アニメ化の話がきてからプレイしたので、純粋にファンとしてプレイできなかったのが残念ですね。ゲームをやりながらも、「このセリフは、落とせないな」とか、「このシーンは、お客さんに人気があるだろう。よし、膨らませていこう」とか、不純な気持ちでやってしまったところを悔やんでいます(笑)。
——很冷静地捕捉到了呢。
因为这次,我从一开始就是以作者的视角来玩的。动画化的顺序是《AIR》、《Kanon》、《CLANNAD》,但是本来原作游戏是以《Kanon》、《AIR》、《CLANNAD》这样的顺序发布。在三部曲的第二部《AIR》中“家族”这一主题得到了强化,所以有延续这一主题的预兆。我感觉Key,或者说麻枝先生自己,在这之前就对于“家族”的事物有着十分强烈的意识……。我认为现在因为《CLANNAD》(家族主题作品之二)这样的标题出现,终于得以直面“家族”这一主题。从这个意义上来说非常有意思。这一部分虽然是粉丝向的心情,但我觉得麻枝先生是在顺水推舟地深化主题。
《AIR》和《Kanon》的原作游戏是在制作动画之前玩的,而且是一遍又一遍的程度。但是《CLANNAD》的情况是,因为游戏要动画化我才去玩的,很遗憾不能纯粹地以粉丝的身份享受游戏。我一边玩着游戏,一边想着诸如“这句台词不能漏掉”、 “这个场景应该很受观众欢迎吧。很好,让它变得突出”等,后悔自己制作的时候没有纯粹的心境 (笑)。
AVGをアニメ化するために
旨在将美少女AVG游戏动画化
——『AIR』『Kanon』を経て『CLANNAD』を書く際、ゲームを脚本化する方法論は、かなりできあがっていたのでは?
『AIR』『Kanon』の脚本をやったおかげで、マルチエンディング型のゲームを脚本にするときは、こういう方法でやれば自分なりにうまくいくんじゃないかとわかりつつありました。なので『CLANNAD』は、前の2作ほど迷わずにできたところがあります。もちろん、一人ですべてをやったわけではなく、監督に相談しつつ、長さや構成など、いろいろ悩みながらやったわけですけど。
あくまで脚本化する段取りについてなんですけど、試行錯誤の段階は『Kanon』くらいまでで終わったと思います。その後、一段落して、『Kanon』で身につけた方法を使い『CLANNAD』をフルにやってみて、自分なりに成果を挙げることができたという感じですね。
——经过《AIR》、《Kanon》,再写《CLANNAD》剧本的时候,游戏剧本化的方法论是不是已经非常完备了?
多亏了《AIR》和《Kanon》的剧本,我逐渐明白在创作多结局型游戏的剧本时,如果用这样的方法对于自己应该会很顺利。所以《CLANNAD》有像前两部那样毫不犹豫就能完成的地方。当然,并不是我一个人完成所有的工作,而是一边和监督商量着,一边烦恼着长度和结构等各种各样的东西。
说到底是关于动画剧本化的规划,我觉得试错的阶段到《Kanon》为止就结束了。在那之后,试错便告一段落,运用在《Kanon》中掌握的方法,试着把《CLANNAD》完满地制作出来,对于自身而言,有着收获了成果的感受呢。
——原作のストーリーを整理する際は、自身でチャートを作ったりするんですか?
それはもう、全場面の全要素をノートに書き込みました。
——整理原作故事的时候,会自己制作图表吗?
我已经把所有场景的所有要素都记在笔记本上了。
——セリフも?
大事だと思ったセリフだけですね。長いし複雑なので、とても頭に入らないんですよ。それでも今回は事前に少し準備期間があったので、状況的にはありがたかったですね。
場面や内容の要素を付せんに書いてノートに貼っておき、その後「このエピソードはもう使ったから、こっちに持っていって」という感じで、アニメ用のチャートを作っていきました。正直、すごい手間でした。でもそれをやっておけば、どこかでゴチャゴチャになったりしないし、大事なところを逃すこともないと思ったので、地味にやっていましたね。
——也包含台词吗?
只记录我觉得重要的台词。因为台词又长又复杂,根本记不住。尽管如此,因为这次事前有一点准备时间,按照情况来看还是很庆幸的。
我把场景和内容的要素写在便签并贴在笔记本上,然后以“这个插曲已经用过了,要拿到这里”的感觉,制作动画用的图表。说实话真是费了很多工夫,但我想只要这样做,就不会在什么地方变得乱七八糟,也不会错过重要的地方,所以朴实地做了这种工作。
——時間的には、どのくらいかかりました?
その作業だけで、足かけ一か月ぐらいはかかりましたかねぇ。ちょっとやってはメモを取る、といった作業をずっと続けていったんです。たいへんでしたが、それくらいはやらないと不安でできなかったんですよ。
一応、いちばん最初にプレイしたときは、メモ取り作業はしないでクリアしたんです。その上で最初からまたやり直して、メモを取っていました。今思うと、これはこれで、ある意味ぜいたくな時間だったのかもしれないですね。
——从时间上来说,花了多长时间?
仅仅这一项工作就花了一个月左右。稍微写一会就记笔记,这样的工作一直持续着。虽然很辛苦,但如果不这么做,就会因为不安而无法完成。
大体上,最开始玩的时候,没有做笔记的工作就过关了。然后我从头又做了一遍并记了笔记。现在想起来,这或许某种意义上是一段奢侈的时间。
監督&原作者との連携
监督与原作者的联袂合作
——石原監督からは、どんなオーダーがありましたか?
監督は当初、原作の「アフターストーリー」に、いっぱい話数を割きたいとおっしゃっていました。それから、第1シーズンは桜のイメージだったんですが、『AFTER』のほうは菜の花のイメージでいきたいとおっしゃっていましたね。なので、菜の花は第1話のアバンから登場させたりしています。
——石原监督对于动画有着什么样的要求呢?
石原监督当初说想在动画中分配大量集数给原作的《AFTER STORY》,而且还说,第一季是以樱花为形象,而《AFTER STORY》的部分想以油菜花为形象。因此使得油菜花的场景在《AFTER STORY》动画第1集的op前的部分登场。
——Keyさんとは、どんなやりとりをしていましたか?
シリーズ構成案やシナリオの決定稿が出たら、順番に送ってチェックしてもらっていました。でも、「ここだけは、どうしても直してくれ」というのは、あまりなかったですね。セリフとか、こちらでかなり変えたところもあるんですけど、Keyさんからの修正依頼は、たまにあったぐらいです。アニメ化する際は、原作と大きく違うところとか、エピソードの順番がぜんぜん違ったりする部分がどうしても出てくるんですよ。そういった、こちらで手を加えた部分がどれだけ認めていただけるのかな? という疑問や不安が、あることはありました。ですが、『AIR』『Kanon』とやってきて、こちらが原作を尊重していることが伝わっていると思うので、大きく変えたところがあっても、「まあ、いいか」と思ってくださっているんじゃないかと勝手に思っています。
石原監督は、Keyの麻枝(准)さんと面識があるみたいなんですけど、僕は一回もお会いしたことがないんですよ。電話で、一言二言しゃべったくらいです。
——和Key做了怎样的交谈?
当动画的系列构成案和剧本的决定稿完成的时候,我按顺序依次发给key检查,但很少被告知“只有这里请务必修改”。台词什么的也有在动画中改动很大的地方,不过,来自Key的修改委托只是偶尔出现罢了。动画化的时候,难免会出现和原作大不相同的地方,或者情节顺序与原作迥异的部分。我曾有过这样的疑问和不安:“动画中进行修改的部分能得到人们多少认可呢?”。但是,我觉得《AIR》和《Kanon》动画的播出,传达了对原作的尊重,所以我随意地想着“即使有很大改变的地方,大家也会应该会觉得能够接受吧。”
石原监督好像和Key的麻枝先生见过面,但我一次都没见过他呢,只是在电话里和他交谈了几句。
シリーズ構成ができるまで
直到系列构成完成
——脚本作りでは、どういったことにことに苦労しましたか?
原作が非常に長いので、そのどこを切り取って、どのように配分するかに苦労しました。ほかにも、今回どういった盛り上げどころを作るか、そして次へつなげるためにどうのような期待を持たせるか、といったことに頭を使いました。
シリーズ構成が決まり、各話を書く段階になったときは、毎回の内容を30分の枠に収めるのに苦労しましね。脚本が長くなって、監督やコンテのかた、編集のかたがたにまでご迷惑をおかけしてしまった感じです。構成面だけでいうと、『AFTER』の場合、第1シーズンみたいなたいへんさはなかったんですよ。第1シーズンは、マルチエンディングのストーリーを組み合わせながらの構成だったので、一本の大きなお話として矛盾がないように整合性をとることが、すごく難しかったんです。でも『AFTER』の、とくに後半は一本道なので、後はそれをアニメとしてどうおもしろく描くか、監督と話しあいながら組み立てていきました。
——在剧本创作中,哪些方面特别辛苦呢?
因为原作非常长,所以在裁切什么地方,以及如何分配剧情上费了不少功夫。除此之外,我还思考着这次应该做怎样的高潮部分,并且如何让观众对接下来的内容产生期待。
系列构成决定了,到了写每一集的阶段的时候,为了把每集的内容控制在30分钟以内的篇幅而费了一番功夫。剧本变长给监督、分镜和编辑都添了很多麻烦。单从剧本结构来说,《AFTER STORY》没有第一季那么辛苦。第一季是将多结局的角色故事组合在一起构成的,所以作为一个庞大的故事,严丝合缝地合为一体是非常困难的。但《AFTER STORY》,特别是后半部分是线性叙事,之后我就一边和监督讨论如何把它以动画的形式有意思地描绘,一边搭建着剧本。
——注意したところは、どんなところですか?
どのエピソードも、最終的には後半の朋也と渚の結婚後のエピソードにつながるように意識しました。あと、光の玉のエピソードなど、伏線としてしかるべき位置に入れておかないとおかしくなってしまうものなどは、常に漏らさず入れようと意識しながら書いていましたね。
——需要注意的地方是什么?
我注意到,每一个支线最终都与后半部分朋也和渚结婚后的各个插曲相连。另外光玉出现的剧情,如果不作为伏笔放在适当的位置就会显得格格不入,我总是有意识地写得滴水不漏。
——原作からのエピソード選びは、どのように決めましたか?
まず、これは落とせないだろうというところを選んでいきました。その上で、ほかのお話と矛盾が出そうな場合は、アニメ用に内容を変えていったんです。ただ、これらの作業は第1シーズンでだいぶ慣れていたので、『AFTER』で苦労したという印象はあまりないですね。
——从原作中挑选哪些插曲,是怎样决定的?
首先,我选择了无法删除的部分。在此基础上,如果和其他故事有矛盾的地方,就把内容改成为动画服务的。不过,这些工作我在第一季就已经习惯了,所以在《AFTER STORY》中回忆起来并不感到辛苦。
——一つのお話を、半年ごとに区切って放送するというのは、制作側にもメリットがあるわけですね。
ええ。最初のシーズンが終わってから時間があるので、その間にもう一度ゲームをやり直して頭を整理したり、次の計画を練ったりできるので、一気に1年間やるよりは、作業的には助かっていますね。
——每半年播放一个故事,对制作方也有益处吧?
是的。因为第一季结束后还有时间,在这期间可以重新玩一遍原作游戏,重整思绪,制定下一个计划,相比一口气工作一年,对于工作更有裨益。
——エピソードの順番は、どのようにして決まったのでしょうか?
後半でシリアスな展開になるのは決まっていました。なので、最初のほうはキャラクターたちに明るいことをやらせてあげたいという気持ちで、あのような構成になっています。
ただ、今回どこまでお話を語るかを示すためにも、第1話のアバンで朋也の子どものころを描きました。あれは、この先を予感させるというか、後々への伏線というか……。知らない人には「なんだろう?」と興味を持ってもらえると思いましたし、知っている人には「お、ここまでやるつもりなんだ」と思ってもらえるだろうし。そんなことを考えながら、書いていましたね。
第2話以降の前半には、芽衣、美佐枝さん、有紀寧のエピソードがあって、それをどういった順番で並べ並べようか、監督と考えていきました。やっぱり、春原と芽衣の話はにぎやかで楽しい。それと、春原の話はどこかでちゃんと作っておきたい。そういった理由で、芽衣の話を第2話からのエピソードにしています。次に、有紀寧と美佐枝さんのエピソードのどちらを先にやるかについては、ちょっと悩んだんですよ。結果、有紀寧のエピソードの中には不思議な光の玉についての説明があるので、先に美佐枝さんのエピソードをやって「この玉はなんだろう?」という感じで前フリをして、それから有紀寧の話で種明かし、という構成にしてあります。
——支线的顺序是怎样决定的呢?
后半部分肯定会有严肃的展开。所以,一开始是想让角色们做些欢快的事,所以有着那样的结构。
只是,为了表示这次要讲到什么程度,在第一集的OP之前的部分里描绘了朋也的孩童时代,但并没有明示,那段是让人产生未来的预感,还是为后续剧情埋下伏笔……。不知道剧情的人会疑问“是什么呢?”我想这会带给他们这种乐趣,而知道的人也有 “噢,已经做到这个地步了”的感受。我是一边想着这些一边写的。
动画第2集之后的前半部分,有芽衣、美佐枝、有纪宁的支线,我和监督考虑着要按照怎样的顺序排列它们。果然,春原和芽衣的谈话既闹腾又欢快。此外,我想找个地方好好地写出春原的故事。因为这样的理由,我把芽衣的故事作为第2集的支线。接下来,稍微烦恼了一下有纪宁和美佐枝的支线的先后顺序。结果是以如下的结构呈现的。因为有纪宁的支线中包含对于不可思议的光玉的说明,所以把美佐枝的支线放在前面,先是让人疑惑“这个光玉是什么?”,然后用有纪宁的话语揭晓秘密。
脚本執筆時の心の中じゃ?
剧本创作时有着怎样的内心活动?
——執筆中は、どんな気持ちで書かれたのでしょうか?物語に入り込む感じ?それとも、わりとクール?
そうですね、半分半分という感じでしたね。頭のどこかでクールに計算していないと、こういったものはできませんからね。
アニメにする場合、全部ゲームどおりのセリフでは絶対にまとまりません。なので、自分なりにアニメ的変換をしたり、割愛したり作り変えたりしなければいけなかったわけですが、そういうときはわりと前のめりな感じでした。クライマックス部分とかもそうですね。渚が死ぬあたりも、気合いを入れてやった記憶があります。初稿を書くときには、そのぐらいのめり込みます。でも、石原監督と仕事をすると、普通に7稿とか8稿とかになるんですよ。何回も何回も直すので、そうすると自然に頭も冷静になってですね(笑)。もちろん、完全に冷めるわけではなく、毎回集中してはいるんですけど。
——执笔过程中,是以怎样的心情写的呢?是沉浸于故事当中,还是保持冷静的心情?
是啊,感觉两种心情各占一半。如果头脑中没有冷静地计算是完不成这些工作的。
在制作动画的时候,绝对不能原封不动地按照游戏中的台词。因此,我不得不根据自身情况进行动画化的改变,忍痛割爱地进行改编,但那种时候我还是有点操之过急。高潮部分也是如此。我记得渚去世的时候,写得十分投入。写初稿的时候,就会如此投入。但是,和石原监督合作的话,一般都是要写到第七稿或是第八稿。因为一遍又一遍地修改,这样心情自然也冷静下来了(笑)。当然,也不是完全地冷静下来,我每次都集中了心智写作。
——脚本を読んだだけでも、第16話や第22話はグッときました。
こういうのもなんですけど、書きながらもグッときたですよ(笑)。
——光是读着剧本,就能猛烈地感受到第16集和第22集的震撼。
这种感受确实存在,而且写的过程中也能猛烈地体验这种震撼 (笑)。
——石原監督は、「好きすぎるのも困ったものです」と言っていましたが……。
監督は、この話が決まる前にゲームをやっていました。『Kanon』のアニメをやっているあたりですね。それで「これは、おもしろいですねえ。志茂さんも、早くやりなさいよ」と、おっしゃっていたのを覚えています。
——石原监督说过:“非常喜欢的事物,也是一种困扰”……。
石原监督在决定这个故事之前玩过了原作游戏。在制作《Kanon》动画的时候。我还记得他对我说:“这游戏很有意思呢,那么也拜托您快点做完它吧。”
——執筆中、「自分だったら、どうなんだろう?」と考えたりしませんでしたか?
この作品では、考えましたね。自分だったらどうだろうとか、自分がこの年のころはどうだろうとか、自分が社会に出たころを思い出し、やっぱり迷ってたかなあとか……。そのへんは、リアルに書くべきことを書いている気がします。
——执笔过程中,您是否想过“如果自己是朋也的话,应该如何是好呢?”
我在这部作品中做了思考。如果是自己的话会怎样呢?自己这个年纪的时候会怎样呢?回想起自己刚踏入社会的时候,果然是很迷茫的……。我觉得这里写的都是现实中应该写的内容。
——かなり、入り込んでいたわけですね。
そうですね。やっぱり人ごとじゃないというか……。いつ、自分の身に起こってもおかしくないじゃないですか?好きな人が倒れちゃうかもしれませんし、自分も仕事を無くして社会にさまよってしまうかもしれない……。朋也の卒業式あたりから、書きながらも自分と朋也が一体になっている感覚がありましたね。
——十分沉浸在故事之中呢。
是啊。果然无法以事不关己的心态对待……。朋也的遭遇有一天会发生在自己身上也不奇怪吧?喜欢的人可能会倒下,自己也可能失去工作,在社会上游荡……。从朋也的毕业典礼开始后,我一边写着剧本,一边有着和朋也成为一体的感同身受。
——声優さんたちにもうかがいましたが、つらい状況になったときの、克服法を教えていただけますか?
僕の場合は、簡単です。つらい状況というのには、だいたい仕事でなるんですよ(笑)。そういうときの解決法は、仕事をするのがいちばんです。ある仕事でうまくいかないときは、それをクヨクヨ考えるよりも、その仕事を続けるなり、別の仕事をするなりします。そのほうが、精神的にいいなって思うので、いつのまにかそうするようにしました。お酒を飲むとか遊びにいくよりも、ずっといいですよ。問題を抱えたまま仕事から離れても、頭の中では仕事回路が動いてしまってますからね。ならば、そっちの回路を別の仕事に注ぎ込んで、中和しようという感じですね。
——我也问过声优们这个问题,遇到痛苦的状况的时候,能否请教一下有什么克服方法吗?
我的情况很简单。所谓痛苦的状况,一般都是工作造成的(笑)。这种时候最好的解决方法就是工作。当某项工作进展不顺利时,与其闷闷不乐地思考,不如继续这项工作,或者去做其他的工作。我觉得这样能有好的精神状态,所以自然而然地尽量这么做了,比借酒浇愁或者出去玩乐要好得多,因为即使带着问题离开工作,大脑中的工作回路也会运转。既然如此,那就把那个回路注入到别的工作中,中和一下工作的痛苦吧。
現実世界と幻想世界の世界観
现实世界和幻想世界的世界观
——では最後に、世界観についてうかがいます。現実世界と幻想世界のつながりについては、どう考えていますか?
この部分って、いろいろな考え方があると思うんですね。人によっては、あれは過去じゃないかとか、死後の世界じゃないのかとおっしゃったりしています。
僕の場合は、原作に出てくる言葉で解釈しています。この世界と重なり合う影の世界——ことみの両親が研究していた世界ですね——幻想世界は。そういった位置にあるのではないでしょうか?この二つの世界が、お互いに干渉し合って響き合いながら、美しい旋律を奏でている。そういったイメージを持っています。だから、こっちの世界での何かは、幻想世界では別のかたちになっているし、こっちの世界のあるキャラクターが、向こうの世界では
——次元的に変換されるかどうかわからないですけど——別のキャラクターになって存在していると。それが交互に出てきて、最後にある種の不思議な力で合体して、ハッピーエンドになるという……。大まかに言うと、そんな感じですね。
——那么最后,请谈谈世界观。关于现实世界和幻想世界的联系,您是怎么想的?
关于这个部分,我觉得人们有各种各样的想法。有人说那是过去的世界,也有人说那是死后的世界。
从我的角度,我是用原作中出现的词语来解释这个幻想世界的。与这个世界重叠的影子世界——琴美父母研究的对象——也就是幻想世界。是不是处于这样的位置呢?二者相互干涉和共鸣,奏出了美妙的旋律。我的印象就是这样。所以,在现实世界中的某样东西,在幻想世界里呈现为另一种形态,在现实世界中的某名角色,在另一个世界里——虽然不知道会不会在次元上变换——以另一名角色而存在。它们交替出现,最后借助某种不可思议的力量合二为一,诞生了大团圆的结局……。笼统地说,就是这样的感觉。
——「人によって、持っている世界が違う」というセリフがありました。ということは、ある幻想世界は、朋也、渚、汐の誰かの世界なのでしょうか?
たぶん、そうじゃないかと思うんですけど。ただ、そこらへんは僕も、隅から隅まできっちり解釈できているわけではないんですよ。幻想世界も朋也たちが住んでいる街も、一つの在り方なんじゃないかと思うんですね。渚と汐は、たぶんあの街にとって特別な存在で、朋也がかかわることによって何かが起きている。そういうような捉え方をしています。
原作のほうでも、あえていろいろな解釈ができる描き方をしていますよね。そのへんは石原監督とも話したんですけど、我々のほうから「これが正解だ」という見せ方はやめておこうじゃないか、ということになったんですよ。だから、いろいろな人がそれぞれ自分の『CLANNAD』のイメージを持てるようになっていると思います、そういった意味では、原作の精神に忠実であろうとしましたね。
——剧中有这样一句台词:“每个人拥有着各不相同的世界”。也就是说,某个幻想世界其实是朋也、渚、汐他们之中的某个人的世界吗?
我想应该是这样吧。不过,在这方面我也不能把每个细节解释得清清楚楚。无论是幻想世界还是朋也等人居住的城市,我想都是一种应有的存在方式吧。渚和汐,大概对那个城市来说是特别的存在,因为和朋也的关联而发生着某种事情。我是这样理解的。
原作也特意采用了可以使人们做出各种解释的描绘方式。关于这一点,我和石原监督也谈过,我们决定不要让人有 “这是正确答案”的感受。所以,我想形形色色的人们都有自己对《CLANNAD》的印象,在这个意义上,我试图忠实于原作的精神。
监督 石原立也访谈
個人的な想いと作品のコンセプト
个人的想法和作品的概念
——改めて、『CLANNAD』と『AFTER STORY』のコンセプトを聞かせてください。
基本的には、「『CLANNAD』のテーマはなんですか?」と聞かれれば、「“家族”です」とか「“絆”です」とか答えていました。でも、個人的にはもうちょっと違うところにあるんじゃないかな?と思っていたんですよ。だから作っているときも、そういったことをなんとなく頭に入れつつやってはおりました。というのも、そもそも汐の存在ってなんだ? というところがあったからなんですよ。どこか神がかったところもあり、ちょっと不思議な存在しゃないですか?汐を見ていると、全体として家族がどうか、絆がどうとかいうことではなくて、もうちょっと違うものも見えてくる気がしたんです。ただこのへんは、僕が原作をプレイしたときに、個人的になんとなく受け取ったものです。そういったことを、アニメのほうでとくに強く出したりはしないんですけど……。
Keyさんに確認したわけではないんですが、原作のほうは違ったものも意識しておられるのではないでしょうか?Keyさんが書かれているアナザーストーリーの小説(CLANNAD光見守る坂道で―Official Another Story)の中で、汐が世界一周の旅に出る話があります。あれを読むと、家族とか絆よりもっと大きなものを書こうとしているんじゃないのかな? という気がするんですよ。物語を語る上で、「家族」や「絆」は語りやすいものではあるけど、そういったものを含めつつ、もっと大きな全体というか、さらにもっと外へみたいな、そんなものを書こうとしていらっしゃったんじゃないだろうか? という気がするんですよね。
でも、そういった僕の個人的な想いは置いといてですね(笑)。構成会議などでは、あくまで「家族」や「絆」といったテーマを中心に考えていきました。原作の『CLANNAD』(04発売)自体、もともとは美少女ゲームと呼ばれるジャンルに位置するものです。でも僕らとしては、より広い層に観てもらいたいと考えていたんですよ。それから、中高生以上のちょっと年齢が高い層など、できるだけ広い層にも観てもらいたかったので、「家族の絆」といったテーマを中心に、みんなが楽しめるものを描こうと作っていました。
最初は、『世界名作劇場』みたいな、わりと一般的な路線でいくという考えもありました。でも、やっぱり美少女ゲーム的な萌え要素もあったほうがいいというところにおちついたんです。僕自身が好きだからというのもありますけど(笑)。ただ、まったく萌え要素なしで描くというのも、勇気がいるんですよ。だから、そのへんのバランスをうまくとれればなあと思っていましたね。やんでいます(笑)。
——请您再次为我们讲解《CLANNAD》和《AFTER STORY》的概念。
基本上,当被问起“《CLANNAD》的主题是什么?”,人们往往回答“是家族”,“是羁绊”。但是我想,从我个人的角度,应该还有一些不同的认识吧?所以在制作动画的时候,也会自然而然地把这些内容记在大脑里。此外,有这样的地方,例如汐的存在到底是什么?就像某种神灵降临一样,是不是有点不可思议呢?看着汐,我感觉从整体上看,《CLANNAD》的主题既不是家族,也不是羁绊,而是看到了一些不同的东西。只是这部分,是我玩原作的时候个人无意中获得的感悟。但在动画中这些内容并没有特别强烈地表现出来……。
虽然没有向Key确认过这些感悟是否属实,但是原作方面不是也有意识地加入了不同的东西吗?在Key的外传小说中(即《CLANNAD被光守护的坡道- Official Another Story》),有汐环游世界的故事。读完那本小说我有这样的感觉,应该会想写出比家族和羁绊更为宏大的主题吧。我感觉在讲故事的过程中,讲述“家族”和“羁绊”的主题是比较容易的,但我想写出包含这些内容的更为宏大的整体,以及比这些更加深远的内容。
不过,我个人的想法暂且不提(笑)。在讨论结构的会议上,我始终以“家族”和“羁绊”为中心进行思考。原作游戏《CLANNAD》原本被视为“美少女游戏”。但我们想让更为广泛的观众群体观看。另外,我想让初高中生以上年龄稍大的观众观看,尽可能地扩大观众群体的范围,因此以“家族的羁绊”作为中心主题,意图描绘出让大家都能乐在其中的故事。
我最初想着制作出像《世界名作剧场》那样走一般路线的作品。但是,果然还是含有美少女游戏的萌要素比较好。也有我个人喜好的原因 (笑)。但是,完全没有描绘萌的要素,也是需要勇气的。所以,我想如果能很好地把握这方面的平衡就好了。就说到这里吧(笑)
アニメとゲームそれぞれの表現方法
动画和游戏各自的表现方法
——演出面で力を入れた部分は?
具体的に言うと、とにかく汐はかわいく描こうと。『AFTER』に関しては、とにかく汐だと思っていたので……。結果、わりとかわいく描けたんじゃないかと僕自身が思っているんですけどね。それもどちらかというと、“萌え”ではなくて、子どもっぽい感じにかわいく描けたんじゃないかと思っています。
——在演出方面投入精力的部分是什么?
具体来说,就是想总得把汐画得可爱一点。《AFTER STORY》投入精力的地方,我认为是对于汐的描绘……。从结果上,我个人认为应该画得比较可爱吧。总的来说,我觉得对于汐的描绘不是“萌”的风格,而是画出了孩子气的可爱感觉。
——原作は、複数回プレイしないとトゥルーエンドにたどり着けません。物語の構成面では、どういった苦労がありましたか?
構成面では、苦労というか悩みました。どうすべきか? というところで悩んだんです。何度も渚や汐が死ぬのを見たくないじゃないですか? だから、どうしたらいいだろうと。結果、そのへんは1回にまとめてしまったわけですけど……。
最終回については、ひょっとしたら「あれっ?」と、面食らった人もいるかもしれません。あの展開で僕がなんとなく思い出すのは、芥川龍之介の『杜子春』というお話です。あのお話は、青年がお金もちになったり、いろいろな目に遭って、世間が嫌になって仙人になるための修行をするわけです。そして地獄に行ったとき、責められているお母さんを見て、しゃべってはいけないと言われているのに「お母さん」としゃべってしまい、また振り出しに戻るという話ですよね。今回は、その感じに近いと思っています。だからあれは、夢オチではないんですが、見方によってはそんなふうに見えるかも? と思いましたね。
ゲームだと、システム的に許せる展開ってあると思うんですけど、アニメでやるとやや唐突な感じになってしまうんです。ゲームでは汐が死んだあと、メニュー画面に戻ることができます。でもアニメではできないので、そのへんはどう表現すべきか悩みましたね。
——原作游戏不玩多次就无法到达真正的结局。在故事的结构方面,您经历了怎样的辛苦?
在结构方面,与其说是辛苦,不如说是烦恼。我烦恼的地方是,应该怎么做才好?应该不会有人想要一次又一次地看到渚和汐的去世吧?所以,该怎么办才好呢?结果是,我把去世的剧情集中在一集之内……。
关于最终回,也许会让一些人惊呼和不知所措。那个展开使我不由得想起芥川龙之介的短篇小说《杜子春》。那个故事是这样的,一位成为显贵的年轻人,经历了各种各样的事情,由于厌倦了凡间,为了成仙而修行。他在地狱经受试炼的时候,看到母亲正在被阎罗折磨,明明被警告不能说话,却还是喊出了“妈妈”,然后他又回到了最初的自己。这次的动画制作,我想接近那种感觉。所以我觉得,最终回并不是梦的结束,但从不同的角度来看,可能就是这样吧?
如果是游戏的话,我觉得这样的展开是有系统支撑的,但如果是动画的话就会有稍微唐突的感觉。在游戏中玩家可以在汐死后回到菜单的画面。但是因为是动画所以做不到,应该怎么表现那一部分,对此我很烦恼呢。
——話はちょっと逸れますが、汐が死ななかったルートでの朋也とお父さんのかかわりは、いったいどうなったと考えていますか?
これは、僕もどうするべきかと悩みました。原作に書かれていなかったのでアニメでもはっきりと描きませんでしたが、僕自身の考えだと、やっぱりより良い方向にいったのだと思います。おそらく、渚が生きている世界でも、朋也とお父さんはどこかで仲直りして、お父さんは田舎に帰っていったんじゃないでしょうか?それと第22話で、朋也、渚、汐の3人で旅行に行っておばあちゃんに会っていますが、たぶんあの家の中にはお父さんがいたんじゃないかと思っています。
——稍微偏离原来的话题,汐在世的路线上的朋也和父亲的关系,您认为到底是怎么样的呢?
我也很烦恼应该怎么写,因为原作里没有这些内容,所以在动画里也没有描绘得很清楚,但就我自己的想法来说,果然是往更好的方向发展了。哪怕即便是在渚在世的世界里,朋也和父亲也会在某处重归于好,朋也的父亲会不会回到乡下去了呢?此外,在第22集中,朋也、渚、汐三人的旅行和奶奶见面了,我想爸爸或许就在那个家里吧。
——脚本では、お父さんの姿が一瞬見えると書かれていました。
最終的には、その部分を描くことはしませんでした。ただ、総集編ではチラッと触れているんですよ。朋也の語りで、「親父は実家のほうに帰っているが」的なことを言わせているんです。
——在剧本中,写了朋也一瞬间看到父亲的身影。
最终我没有描绘那个部分,只是在总集篇里稍微提了一下,借朋也之口告知观众“朋也的父亲回了老家”等信息。
原作を尊重しながらアニメ化するために
旨在尊重原作地动画化
——マルチエンディングの物語を一本の作品にまとめる場合、エピソードの取捨選択が難しいと思いますが?
本編で、智代と杏のエピソードをやらなかったのは、ある意味助かりました。彼女たちのお話をやってしまうと、全体として一本のお話にならず、収拾がつかなくなってしまうんですよ。なので、彼女たちを渚の友達というスタンスしたんです。そうすることによって、わりと自由に登場させることもできるし、活躍させることもできたので。
ただ、第1シーズンのとき、ことみに関してはちょっと悩みました。ことみのエピソードも、朋也と恋愛関係になったほうがお話としては美しい。でも、ことみも家族のほうに焦点を絞ってやるようなかたちにしたりとか……。
小さいころのことみは、朋也のことが好きだったじゃないですか?それが今どうなっているのかとか、考えるといろいろあるんですけど(笑)。このへんのコントロールは、志茂(文彦)さんがうまくまとめてくれたので、良かったと思っています。最初は一人ぼっちだった渚が、だんだん友達が増えていくという展開は、すごくいい流れだったと思いますね。
——您觉得把多结局的故事汇总为一部作品时,在支线的取舍上会有困难吗?
本篇没有出现智代和杏的支线,从某种意义上来说帮了大忙。如果把她们的故事讲出来,整体上就无法形成一个完整的故事,导致无法收场。所以,我将她们定位为渚的朋友,这样一来,既能让她们自由登场,也能让角色活跃起来。
我只是第一季的时候对于琴美的内容有点烦恼。在琴美的支线中,如果和朋也成为恋人的话,作为故事来说也更美好。不过,琴美也会把焦点集中在家族以外的事情……。琴美小时候不是喜欢朋也吗?那现在会怎么样了呢,如果一想就会想到很多事情 (笑)。志茂先生很好地总结了对于支线的控制,我觉得做得很好。渚一开始孤单一人,后来朋友越来越多,我觉得这是一个非常好的趋势。
——幻想世界については、原作ではテキストベースだったので、絵にするのがたいへんだったのでは?
幻想世界は、絵についてもたいへんでしたが、声についてもどうしようか迷ったのを覚えています。少女の声は、最初こおろぎさとみ(汐役)さんにお願いしようかとも思ったんです。けど、それだとすぐ“幻想世界の少女=汐”だとわかってしまうので、別のかた(川上とも子)にお願いしました。もう一人の「僕」にしても、朋也と同じ声(中村悠一)にしようという案が出ましたが、これも別のかた(矢島晶子)にお願いすることにしました。
声優さんを別にしたのは、ネタバレさせないためという理由のほかにも、もう一つ理由があります。それは、原作をプレイした人の中には、ひょっとしたら違った見方をする人がいるかもしれないので、そのへんはぼかしたほうが世界が広がるだろうと思ったからからなんです。ほかにも、こちらが決めつけないほうがいいと思ったところは、そのままにしたりしているんですよ。
——关于幻想世界,因为原作是以文本为基础呈现的,在动画中描绘出来是不是很困难?
在动画中画出来幻想世界就很辛苦,而且记得我对于如何配音也曾有迷茫的时候。关于少女的配音,一开始我还想请兴梠里美(汐的声优)来配音。但是,那样的话人们马上就会知道幻想世界的少女就是汐了,所以拜托了另一位声优川上伦子来进行配音。至于另一个自称“我”的机器人,也有人提议用和朋也相同的声音的中村悠一来配音,但最后还是拜托了另一位声优矢岛晶子。
采用不同的声优除了避免剧透之外还有另一原因。那是因为玩过原作的人们当中,说不定有人对于幻想世界二人身份持有不同的看法,所以我觉得对于那部分模糊处理会让世界变得更具开放性。除此之外,我认为最好不要妄下定论的地方,也会保持原状不做改动。
『AFTER』のリアリティについて
关于《AFTER STORY》的真实性
——朋也が働くシーンは、丁寧に描かれていたのが印象的でした。
そういったことはやっぱり、この作品をやる際には大事な要素の一つだと思っていましたから。『CLANNAD』のテーマがそこにあるというわけではないんですが、働いて、好きな人を養って、子どもを産んで、というのは、僕は大事なことだと思っているんですよ。Keyさんがそういったことを描こうとしていたのかわからないんですけど、アニメのほうではそこはしっかり描こうと意識しました。
人間って、基本は肉体労働だと思うんです。働いて、働いて、働いて死んでいくものなんだと思います。まじめに働いて、子どもを育てて死ぬというのは、普通の野生動物や虫などはみんなやっていることです。その点、人間ってよくわからなくなってきているんじゃないかとも思うんですけど……。生きる意味って言ってしまうと難しくなってしまうんですが、要は働いて子どもを産んで死ぬことができれば、とりあえず神様の用意したイベントはクリア、という感じではないでしょうか?それだけやっておけば、間違いはないはずなんですよ、生き物として……。それはつまらないことではないはずだし、むしろとても大事なことだと思んですけど。……と言いつつも、僕はまだ結婚していないので、イベントの一つをクリアしていないんですけど……。結婚ってイベントは、意外とクリアするのは難しいのかもしれないですね(笑)。
——动画详细描绘了朋也工作的场景,让人印象深刻。
因为我认为这些事情毕竟是创作这部作品时重要的要素之一。并不是说《CLANNAD》的主题是这样所以要详细地描绘,而是对我而言,勤勉工作、养育挚爱、生育子女都是人生大事。虽然不知道Key是否也想描绘那样的内容,不过,在动画方面我意识到应该好好地描绘那个部分。
生而为人,我认为基本是体力劳动。不断地工作、工作、工作,直至死亡。认真工作,抚养孩子,然后死去,这一过程,和普通野生动物乃至昆虫一样。从这一点上,把我们称作人,难道不会很难以理解吗……。尽管活着的意义难以解释,但总之,只要我们能在工作和生育中迎来生命的终结,难道不就算姑且完成符合神明旨意的事情吗?作为活着的生物,只要我们这么做,应该就不会有什么错误……。这并不是无聊的事情,而是非常重要的事情……。话虽如此,但我至今未婚,有一项神明旨意的事情还未完成……。结婚这种大事,也许意外地很难达到呢(笑)。
——結婚といえば、朋也のプロポーズシーンにはリアリティがありました。
第12話で朋也が渚にプロポーズするシーンは、もうちょっと劇的な場所でも良かったんじゃないかという意見もあるかと思います。あんな普通の住宅街の道ばたじゃなくてもいいのにって思われるかもしれませんが、僕はこういった場所のほうがリアリティがあると思っているんですよ。
あのあたりから知ってほしかったというか、印象づけたかったのは、朋也という人間が、すごくかっこよくないということです。ストーリー展開上、それまでわりとかっこよく描いていたんですけど、あのへんから少しずつ、人間·朋也を描こうと思っていたんです。人間というのは、基本的にかっこよくない生き物ですよ。誰もがそうだと思いますが、みんな必死で、死にものぐるいで生きているわけです。だからこのへんから、朋也もホントにドブ底を這いずり回るように人生を生きていくわけですけど……。
このプロポーズ、女性から見ればガッカリかもしれないですね。朋也も、カッコつけて言ったつもりはまったくなくて、もうホントに不安で渚にすがりつきたい、その一心だったんです。お父さんが逮捕されて、せっかくのいい転職話がおじゃんになって、もうダメだと思ったんでしょう。そこで、いっしょにいてほしいというわけですけど……。あのシーンは、物語の上でもちょっと大きなターニングポイントでもあったんですよ。
——说到结婚,朋也的求婚场面很有现实感。
在第12集中朋也向渚求婚的场景,我想也有人认为在戏剧性稍多的场所不是也很好吗?也许有人会想,不在那么普通的住宅区的街道求婚也没关系,但我认为这样的地方会更有现实感。
从那时候开始,我想让大家知道,或者说想给大家留下印象的是,朋也这个人在活得并不帅气。在之前故事的展开上,虽然刻画了很帅气的他,但我想从那个地方开始一点点地深入刻画作为“人”而存在的朋也。人类基本上并不是帅气地活着的生物。我想每个人都是这样,竭尽全力地向死而生。所以从这里开始,朋也真的要在人生的脏水沟中摸爬滚打……。
这样的求婚,从女性的角度来看恐怕会感到很失望吧。朋也也完全没有耍酷的意思,而是真的非常不安,很想紧紧地拥抱着渚,全心全意地守护着她。而这时父亲被逮捕了,好不容易谈好的晋升计划顿时化为泡影。所以,朋也在那时自然地想要和渚相依为命……。那个场景,在故事上也是一个很大的转折点。
原作のどの部分をアニメ化するか?
原作的哪个部分需要动画化?
——渚の死後、朋也が自暴自棄になった部分は、アニメでは短かったですね。
僕は原作ファンなので、個人的には渚の死後をもっと丁寧に描きたかったんですけど、やっぱりあまり暗い展開ばかり描いていると、観ている人が離れてしまうんじゃないかという懸念がありました。でも、あのへんを描かないと『CLANNAD』をやる意味がないですし……。みんなでいろいろ議論しました。最初から『CLANNAD』と『AFTER』を含めた構成を意識していたので、初期はいろいろ検討したんです。その結果、なんとか原作の『AFTER』のエピソードを入れる話数を確保したんですけど、果たしてこれで入るのかなあ?という心配が最初かからありましたね。
——渚去世之后朋也自暴自弃的剧情,在动画里很短呢。
因为我是原作的粉丝,所以我个人想更细致地描写渚去世之后的故事,但还是担心如果描写的净是黑暗的展开,会不会引发观众的流失。但是,不描写那些部分的话,《CLANNAD》的制作就没有意义……。大家对此作了很多讨论。因为从一开始就意识到包含《CLANNAD》和《AFTER STORY》的结构,初期进行了很多商讨。结果是,总算确定了《AFTER STORY》原作的插曲加入动画的集数,不过,从一开始便有这样的担心:“真的能在这里加入这些内容吗?”
——確かに、アニメの『AFTER』が始まっても学園ものだったので、最初はちょっと驚きました。
原作の『AFTER』になると、渚以外の女の子はほとんど出てこないじゃないですか?果たしてそれでファンに楽しんでもらえるのか?杏や智代がぜんぜん出てこなくてだいじょうぶなのか?といった懸念がありました。それで結果として、あのような構成になったわけです。
ただ、美佐枝さんとか有紀寧のエピソードを前半に持ってくることで、光の玉の話などが入り、ラストの物語がより深くなったと思っています。
全体の構成については、全44話ということで、僕も最初、「だいじょうぶかな?」と思っていました。もともと原作の『CLANNAD』って、プレイすると100時間を超えたりするんですよ。かたやアニメは正味一本20分強ぐらいなので、44話というと16時間ぐらいなんですね。それを考えると、「あれ?入んないじゃん」と思って(笑)。
ホント言うと、ジェット斉藤とかの小ネタも入れたかったんですよ。それこそ夢オチでもいいので、ジェット斉藤のネタは入れたかった。プールかどこかだったら入れられるんじゃないかとか、川だったらできるんじゃないかとか考えたんですけど……。
——确实,动画《AFTER STORY》一开始也是校园生活主题,当我看到上述内容,刚开始也有点惊讶。
原作《AFTER STORY》中,除了渚以外的女孩几乎没有出现吧? 我有过这样的担忧:“那样的改编是否能够让粉丝开心呢?杏和智代完全不出场也没关系吗?”结果就形成了那样的结构。
只是,我认为把美佐枝和有纪宁的支线放在前半部分,并且加入了光玉的剧情,使得最后的故事更加深刻。
关于整体的结构,因为是整整44集,我一开始也想着“没问题吧?”。原作的《CLANNAD》游戏时间,一玩就会超过100小时。另一方面动画一集大概20多分钟,44集也就是16小时的篇幅。一想到这些,我就想:“啊,到底能不能放进去呢?”(笑)
说实话,我还想加入喷气齐藤之类的细小的哏呢。就算梦想无法实现,我也想要把喷气齐藤的哏加进去。我曾想能不能在游泳池的某个地方,或者在河里将这个哏加进去……。
(译者注:石原先生心心念念的喷气齐藤已在动画《键等》的第12集中加入)
——「便座カバー」ネタは、とても楽しかったです。
あのネタも、意外と使いどころが難しかったんです。原作を知っている人には人気のネタだったんですけど、アニメで使うにはけっこう難しいんですよ。さりげなく使うのがコツのような気がしたんですが、アニメではややオーバー気味にしてしまいました。
——“马桶盖子”这个哏非常搞笑。
那个哏意外地难以找到使用得当的地方。虽然对了解原作的人来说是很有人气的笑点,但使用于动画却相当困难。我觉得使用的要领在于不露声色地使用,但即便如此在动画中表现得还是有些夸张。
——番外編では、どうして1年間の朋也と渚を描いたのでしょうか?
渚と朋也が出会う前。お互いしゃべったりはしないんですけど、結果的に朋也と春原が作ったくす玉で、渚がちょっと一歩前進しようかと思うお話ですよね。このお話は、朋也と渚の運命的な部分も描けるということで選びました。お話の中には、杏のエピソードも混ぜ込んでいます。番外編の杏はややおいしいポジションだったので、杏ファンには喜んでもらえるかな? と思って作っていました。渚はこれで友達ができたわけですけど、そのあとまた一人になってしまうわけで、それを考えると切ないものがありましたね。
——在动画的番外篇中,为什么要描写一年前的朋也和渚呢?
这是渚和朋也相遇之前的故事。虽然那时彼此还没有说过话,但结果是通过朋也和春原制作的球,渚因此想要稍微向前迈出一步。选择这个故事,是为了描写朋也和渚相遇是命运的安排。故事中还加入了杏的插曲。因为番外篇中杏的地位是稍显突出的,杏的粉丝们应该能够满意吧?我想着就这么做了。渚总算交到了朋友,但这之后又变得孤零零,想到这里就感到难过。
——第1シーズンでは目立っていた風子ですが、『AFTER』では第19話までまったく登場しませんでした。
第1シーズンでは「風子参上!」など、風子はいろいろな場面に登場させていました。ですが、『AFTER』では第19話までいっさい出さなかったんです。理由は、『AFTER』で「風子参上!」をやると、雰囲気が壊れちゃう(笑)。それと『AFTER』の場合は、後半に出てくるほうが、よりラストが感動的だと考えたからなんです。第1シーズンにいっぱい出していたのは、ここで出しておかないと一年後までお目にかかれないというのがあったので、ちょっとがんばって出していたんですよ。
——在第一季中引人注目的风子,却直至《AFTER STORY》第19集才登场。
第一季风子以“风子参上!”的方式出场,出现在各种各样的场面。但是,她直到《AFTER STORY》的第19集才出现。理由是,在《AFTER STORY》中出现“风子参上!”,就会破坏气氛(笑)。此外,就《AFTER STORY》而言,我认为她在后半部分登场,最后会带给人们更多感动。第一季风子登场了很多次,是因为如果不在这里登场的话,一年后就见不到她了,所以稍微做了一些努力让她频繁登场。
——風子と汐が病院の前で偶然会うシーンは、アニメオリジナルですね。
『AFTER』の第20話で、風子がおでんを持っているところですね。原作のほうはテキストだけだったんですけど、アニメでまったく同じにやるのはいかがなものかと思ったので、絵で見せることにしたシーンです。あそこは、汐と病院のあの場所(幼い渚が命を取り留めた場所)を印象づけたかったというのがあり、最終回の伏線になっているので描いたシーンですね。
——风子和汐在医院前偶然相遇的场景,是动画原创的剧情吧。
《AFTER STORY》第20集中,风子拿着关东煮串和汐一起散步。虽然这一剧情原作只有文字部分,但我想原原本本地将那里进行动画化,所以决定用画面来展现这一场景。那个场景是为了让人们对汐和医院的那个地方(小时候的渚保住性命的地方)留下印象,作为最终回的伏笔而描绘的。
すべて終わった今『CLANNAD』を振り返って
现在回首《CLANNAD》,所有工作已然完成
——では最後に、すべてを終えての感想をお願いします。
1年物ということで、長い話数をコントロールする難しさを感じましたね。それと、作りながら「原作を好きすぎると、却ってまずいのかな?」と思ったのを覚えています。やっているときは、自分の中で自問自答していました。原作からシーンを選ぶときでも、「これは必要ないのでは?」「でも、原作ファンはぜったい見たいだろ?」とか……。そのへんで、正常判断ができているのかどうかというのが、すごく不安でしたね。「ひょっとして、自分も含めて原作ファンがこだわっている枝葉部分を省いたほうが、全体としてはわかりやすいんじゃないだろうか?」とか、作り方でもかなり悩みました。でも、「自分が作品を好きなほうが、良い作品ができるに決まっているだろ!」と言い聞かせつつ、やっていたんですけど(笑)。
自分が持っている古い資料を見ると、04年のものとか出てきて、そのときのことを思い出したりしました。当時は『AIR』(05年放送)をやっていたころなんですが、秋葉原の某ショップに『CLANNAD』のデモ映像が流れていて、『Keyさん、次こんなのやるのか……』と思いながら見ていたのが、なんか懐かしく思えるんですよ。そういった意味では、かなり長い間かかわってきましたね。アニメ自体の制作は、ゲームが発売されてからもっとあとになるんですけど……。
『AIR』(00年発売)『Kanon』(99年発売)については、仕事が決まってから原作をやりました。でも『CLANNAD』に関しては、アニメ化が決まる前に原作を先にやっているんです。『AIR』をやるにあたって、原作者さんを知るためにもやっておいたほうがいいかな? という感じで始めて、攻略本なしで自力でトゥルーエンドまでたどり着きました。そういった、個人的な意味でも愛着のある作品だったので、いざ終わったとなると寂しいものですね。とくにこの作品は、感慨深いものがあります。アニメとしても、脚本読みが始まったにが06年ですから……。最近のアニメは、人気が出て続編が決定するパターンが多く、この作品のように最初から1年かけて作るっていうのはそうないんですよ。そういった意味では、僕も今後こんな長い作品はやることないんじゃないかな? という気もしています。
——那么最后,请谈谈动画制作结束后的感想。
因为是持续一年的动画,所以我感受到把控漫长集数的困难性。而且,我记得当时一边制作的时候一边在想“如果过于沉湎原作,反而不是一件好事?”在制作的过程中,我一直在心里自问自答。即使是从原作中选择场景的时候,我也一直在想“这个真的有必要保留吗”“但是,原作的粉丝一定想要看到吧?”之类的事情……。在这方面,我对于自己是否能够正常判断忐忑不安。“或许,把连我在内的原作粉丝们都在意的枝节都省略掉,从整体来说是否更能便于理解?”像这样,即使是制作动画的事情也让我十分烦恼。但是,我想着“自己是喜欢作品的人,一定能写出好的作品!”我一边这么说着,一边做着动画(笑)。
当我翻看着自己的旧资料时,会发现2004年的东西,并且回想起当时的事情。当时我正在进行《AIR》的动画制作,看到秋叶原的一家商店正在播放着《CLANNAD》的演示动画,我一边想着“Key的下一部作品做成这样吗……”,一边看着动画,总有种很怀念的感觉。从这个意义上来说,我与key的作品有着很长时间的羁绊。不过CLANNAD动画本身的制作,是在游戏发售之后更晚的时候……。
《AIR》和《Kanon》是决定了要进行动画制作后我才玩的原作游戏。但是在《CLANNAD》动画化决定之前我就先玩了原作。在制作《AIR》动画的时候,我想:“为了能够了解原作作者的思想,先去玩一下游戏或许会比较好? ”我以这样的感觉开始游戏,在没有攻略书的帮助下自己打到了最终结局。因为是这样一部个人意义上也很喜欢的作品,所以一旦结束就会有种惆怅的感觉呢。特别是这部作品,令我感慨万千。所以我在2006年就开始阅读《CLANNAD》的动画剧本……。最近的动画,很多都是收获人气之后才决定制作续集,但像《CLANNAD》那样从一开始就花了一年时间制作的作品并不多见。从这个意义上说,我总有这样的感觉:“我以后应该没有机会能够再做这么长的作品了吧?”
全文完
关键词: こういう それから シーズン CLANNAD ストーリー ところが AfterStory エンディング いじょう たいへん KANON 石原立也 もう一度 ところで やっぱり 角色故事